創立者の紹介

当園の創立者である
ハイドリッヒ神父をご紹介します。

ペトロ・ハイドリッヒ神父は、1901年9月16日にドイツのライン地方のディッケンドルフで9人兄弟の長男として生まれました。

トリエールで中高等学校を卒業し、1922年にイエズス会に入会し、2年の修練の後オランダのファルケンブルグ神学院で哲学、その後、アイルランドのダブリンで神学を修め、1930年8月27日にファルケンブルグで司祭叙階を受けました。


1931年に神学のコースを修了し、ドイツのミュンスターで第3修練を行い、1933年福音宣教のために来日しました。

岡山で日本語を勉強した後、1933年に萩教会に赴任。
1934年岡山教会の主任司祭として司牧と宣教に専念し教理教育の協力者養成に力を尽くしました。

1945年宇部教会の主任司祭となり8年の間に同教会の基礎を作り、聖堂と司祭館を建て2つの幼稚園を設立しました。


1953年東京の上智大学に呼ばれ上京し、大学で社会倫理学や宗教学を講じるかたわら町屋のセッツルメントにも一時関わりました。

1954年上智大学神学講座を引継ぎ、充実し、カリキュラムを整えて、宗教科教育職員免許が取得できるものとしました。
受講者の中にシスター方も多数おられ、そこでの関わりを通じて、日本の各地で修道会などの経営する社会福祉施設の専従職員の現状について知り、神学教育と社会福祉の教育を結ぶことの必要を感じ始めました。


工夫と模索が重ねられ、協力者にも恵まれて1963年には社会福祉主事養成機関としての夜間課程が認可されました。現在の上智社会福祉専門学校の前身です。

そこではカリキュラムの中に人間学やキリスト教学が必修科目として位置付けられました。
最新の専門知識と最高の技術とをもち、かつキリスト教的な人間理解をもって社会福祉を実践する人を養成することが神父の目標でした。


1964年には上智社会福祉専門学校の実習施設として足立区梅田に上智大学付属保育園うめだ「子供の家」、学生の人間形成の場として女子学生寮「ソフィア塾」を開設。

うめだ「子供の家」で実践されたモンテッソーリ教育法は人々の関心を集め、その方法を学びたいという要望が大きくなって、上智モンテッソーリ教育養成コースを1970年に開講し、その実践コースの場所を将来教会を建てるためにと用意していた場所に開設しました。


その当時から保育園には、発達支援児がいろいろな機関からの紹介で実験的に通ってきていました。
発達支援児には何よりも専門的な治療教育が必要であるという立場から、ドイツのミュンヘンの小児センターでモンテッソーリ教育法を取り入れた発達支援児の早期療育とインテグレーションを実践していることを知り、その経験を学ぶためにドイツに人材を派遣しました。

同様に施設をうめだ「子供の家」の近くに建設するために国や企業を回って施設の必要性を訴え続けました。
また上智大学の学生や地元の子どもたちと一緒に毎日曜日、銀座にくりだして街頭募金を3年の間続けました。


こうして1977年発達障害乳幼児の通園施設「うめだ・あけぼの学園」を開設。

そして1981年には発達支援児の療育に携わる職員を養成するためにうめだ・あけぼの治療教育職員養成所(夜間2年課程)を設立しました。

1987年ついに、梅田の地に念願の教会を建設。
その後、1990年11月9日に東京の聖母病院で帰天しました。